2007
http://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/fe20070214a1.html
日本の和歌山、太地町では気味の悪く恐ろしい運命が毎年1000頭以上ものイルカに降り掛かっている。
By BOYD HARNELL
Special to The Japan Times からの記事ーーーー
和歌山県の捕鯨の町、太町(たいじ)では群れをなしたイルカが重なり合いはたぎり湾を泳いで行く、
ここは美しい紀伊半島がある場所。しかしクジラ博物館に近接する素朴な2つの入り江には死の呪いが付きまとう。
太地で殺されるイルカ達去年の11月写真)
毎年9月から3月の間 追い込み漁で1000頭以上のイルカ達は銛やナイフで切り刻まれて行く。
日本では鯨の様に、少なくとも40万頭のイルカ達が過去20年間この様にして死んで行った。
しかし捕まったうちの全てのイルカが死ぬ訳では無い。
殺すものの中から選んだ数頭のイルカは水族館などに見せるために、約600万円まで値段を跳ね上げられ、
全てはお金の為に売られて行きます。
残された殆どのイルカ達は1頭たったの約7万円で肉として売られています。
彼らの肉はスーパーマーケットなどで売られる事になる。
とても高いレベルの水銀濃度が、イルカの肉からは繰り返し科学テストによって検出されているにも関わらず、
日本の保健大臣はクジラ、イルカ肉食品に対して何の警告も発表していない。
農林水産省はクジラ目の動物を毎年21000頭、殺す事を許している。
日本の追い込み漁はアメリカでは避難されている。
2005年発表されたアメリカの議会決議99条では追い込み漁は非人道的であり
イルカ肉には高い水銀濃度が含まれると発表した。
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去年、10月23日、私はこのイルカ達の取材のため、太地へと東京を後にした。
次の日24日、私は追い込み漁を初めて目撃した。それは不愉快極まる野蛮なものだった。
私は子供のイルカ達が捕まって港まで運ばれて来るのを、堤防越しにみていた。
そしてその後港の中でイルカ達は追い込まれていた、それは軍事行動のようであった。
13艘のボートがイルカ達の逃げ道を塞いでいた。追跡は容赦ない。
イルカのソナーの方向感覚を失わせるために、漁師はメタルの長い棒で船の下をたたいていた。
イルカ達はパニック状態になり頻繁に水をブローホールから吹き出していた。
数匹のイルカと子供のイルカは逃げる事ができたが、その子供の母親を含んだ殆どのイルカは逃げられず、子供と離ればなれになった。子供は母親と離れてしまえば最後、餓死かサメに食べられてしまう運命だろう。
その後、疲れきった25頭のイルカ達は囲まれてしまった。僕は堤防から走って近づくとこの知的な乳類達ははバタバタ逃げ道を探していたところだった。小さい小舟が網の最後の出口を塞いだ。そして大きめの船はまた次の漁に出て行くのだった。
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狩りの間の雰囲気はとても果無いものである。
ここでは普通、この状況をレポート、ドキュメントしようとする者には誰にでも邪魔が入る。
私もそれに遭遇した一人だった。私の事を常に見張って写真を撮ってる者がいた。
40~50あるこの勇魚(いさな)の漁業組合の者に私はいつも尾行されていた。
この尾行する者達は、何をしても警察に捕まる事は無い。警察もこの者達とのトラブルに口を挟む事はない。
イルカ達の捕獲と殺しは吉野熊野国立公園でなされている。環境庁がこの区域を管理しているのだが、
この国立公園は公共に解放されている場所であるにもかかわらず、警察はこの区域への
立ち入りを制限している。しかし、私は最近できた立ち入り禁止ゲートを無視して出入りするたくさんの人達を
見つけそれをカメラにおさめた。
外国人達がこの場所に入りイルカ達の群れが捕まる姿を見る事は許されていない。
次の日の夜明け 10月25日チンピラ達が港に現れた。緊張感が高まる。
数人が英語で『写真を撮るな』と書いた紙を持っている、一人の男は僕を付け回している。
彼の乗っているおんぼろ白い日産スカイラインにちなんで、僕は彼を”スカイライン?ボブ”と呼ぶ事にした。
彼は僕に一度も微笑む事も話かける事もしなかった。しかし彼はいつでも僕の後をつけていた。
時おり、ボートが入り江に入ってくる、その音で静けさはかき消される。
死の一組がたどり付いた合図である。イルカ達に命の望みは無い。
小さな船に乗った者が大きな長いナイフを持ってイルカ達に近づいていく。
すくい網を使いながら、殺されているイルカの横に捕まえてきたイルカ達を投げ込んでいる。
数頭のイルカ達は半狂乱になって抵抗している。すくい網に捕まったイルカ達は小舟のボートに引きずれて行った。沖から長い船に積み上げられて行く。私はその長い船をはっきり望遠レンズで見ていた。
数人は長いナイフを持って、あとの数人はホースを手に握っていた。男達は何回もそのナイフをイルカの体に突き刺していた。イルカ達は苦しさのあまり背ヒレ と尾ヒレは大きく動かしていた。イルカが動かなくなるまで何回もナイフでその体を突き刺して行く行動は続けられた。数人はホースから水を出し血を掃除して いた。男達は板の上に内蔵や脂肪層を切ってどんどん投げて行く。
全てのイルカがこの様にして殺しの湾で切り刻まれて行くのだ。
銛でつかれるているイルカ達、喉を切られていくイルカ達。
そのイルカ達のすぐ横で観察していた人が、イルカ達の切られた体の部分から
どろどろとした血がおびただしく長い間、出続けていたのをカメラ越しに見たと私に言った。
その後イルカ達が、太地にある精肉工場に運ばれていくのを私は見た。
死骸は青い防水シートの下に隠されていた。
そこで働く人はイルカの死骸の写真が 日本の悪いイメージになる事を知っているのだ。
写真を公表される事が彼らの利益に響くことを知っているのだ。
死んだイルカ達はすぐに食料へと形を変えられて行く。
そして最後には小さくなった肉の固まりと内蔵だけがそこに残されていた。